20 被爆樹木・長崎医大付属医院のクスノキ in ナガサキ(Bランク)
大きく傾くが、大地にどっしりと根を張っている
原爆投下の翌年芽生えた、平和のシンボル
A-bomebed Campher tree in NAGASAKI
▼爆心地からの距離: 700メートル
▼クスノキ科・落葉高木
▼樹齢:不明
▼樹高:?m/幹周り:?m
▼所在地:長崎市坂本1丁目7-1 長崎大学歯学部付属病院 玄関前
▼Bランク
【木の特徴―大きく傾いている】
長崎市登録「被爆樹木」の中でも、ひと際大きいのがこのクスノキです。幹がかなり傾いていますが、根は大地にしっかりと張って、堂々と立っています。被爆した木とは思えないほど樹勢よく、樹冠もまんまるく、葉が繁っています。被爆当時、このクスノキは旧病院玄関建物の横に立っていました。原爆によって立ち枯れた状態となり、枯死したと思われていましたが、翌年に新しい芽を出し、人々を驚かせました。その生命力の強さに、病院復興に立ち上がった教職員の多くが勇気づけられたと伝えられています。
【被爆を伝える ―長崎医科大学(旧 長崎醫科大学)】
<被爆当時の状況>
長崎医科大学は爆心地から東南東へ約500mの丘の上にありました。1945年8月、本来は夏季休暇中ですが、非常短期速成で休暇を返上して講義が行なわれていました。8月9日11時2分、原爆が投下され、本館と校舎などの76棟のうち65棟は倒壊、さらに火災が発生し全焼。死亡者数は、付属医院、大学関係者、学生を合わせて898名(原爆復興50周年記念長崎医科大学原爆記録集第1巻・平成8年調査後1名追加)が犠牲となりました。講義中だった5つの講堂の焼け跡からは、教授は教壇に、学生は机に着席したままの姿の遺骨が発見されました。
<旧配電室(現在のゲストハウス)>
爆心地から1キロ以内に残る被爆建造物の1つで、ほぼ原型のまま残った配電室。戦前のコンクリートは小石を混ぜ、川砂で気泡を詰めたもので、分厚いコンクリート造りの建物であったため倒壊を免れたと考えられています。 戦後1965(昭和40)年に改修され、現在は外国人留学生や研究者の短期宿泊用施設として使われています
【解説】Bランク:原爆により何らかの影響を受け、<こん跡>が認められるもの、または、こn跡は認められないが、当時の社会的状況をとくに強く示唆するもの。(「長崎市被爆建造物等の取り扱い基準」保存対象のランク付けの基準より抜粋)
<正門門柱>
国指定史跡「長崎原爆遺跡」指定(2016年10月3日)。現在の長崎大学医学部の裏門(図書館の裏)に、旧長崎醫科大学時代の正門門柱が被爆当時のまま保存されています。1.2メートル四方、高さ2.1メートル(土台部分を含む)。門柱の側面にある石板にこう書かれています。
「1945年、昭和20年8月9日、よく晴れし日の午前11時2分、世界第2発目の原子爆弾により、一瞬にして、わが師、わが友850有余名が死に果てし長崎医科大学の正門門柱にして、被爆当時の儘の状態を生々しく此処に見る」
爆風の影響で、前方に約12センチずれ、後方は台座と約15cm浮き上がり、正面に約10度傾いたままになっています。
※参考文献:長崎大学医学部ホームページ
長崎観光情報「ここは長崎ん町-長崎原爆遺跡巡り」http://isidatami.sakura.ne.jp/
【この木に会いに行こう!】
JR長崎駅から路面電車「赤迫(あかさこ)」行で、「大学病院前」電停前で下車。徒歩5分。
≪DATA of A-Bombed Trees≫
The Camphor tree/the Nagasaki University School 700m from the hypocenter
botanical name:Cinnamomum camphora
age: 70 years old over
height:? m.
surroundings:?m
address:1-7-1 Sakamoto,Nagasaki city
This tree survived the atomic bombing of Nagasaki, about 700m from the hypocenter. The tree is standing in front of entrance in the Nagasaki University School. June,2017 Shooting
★Let's go to see this tree !
10 minute walk from the Nagasaki University Hospital station.